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太宰治研究22



目次


〔作品とその生成要素〕
特輯『新釈諸国噺』

「貧の意地」と「大(おほ)晦(つご)日(もり)は合はぬ算用」 須田千里
「大力」―角力と戦争― 高田知波
『新釈諸国噺』の扉の絵・「猿塚」生成の一面 松本常彦
太宰は西鶴に勝利したのか?―「人魚の海」と「命とらるる人魚の海」― 山田有策
太宰治「破産」に見る「はなし」の特質 宮内淳子
青砥藤綱の文化イメージと「裸川」(『新釈諸国噺』) 有元伸子
「義理」とその出典―先行研究をめぐって― 中丸宣明
「女賊」再読 栗原敦
太宰治「赤い太鼓」と井原西鶴「太鼓の中は知らぬが因果」 藤原耕作/太宰治「粋人」の〈すゐ〉―「粋ほど愚痴なものはなし」― 須田喜代次
太宰治「遊興戒」論―「殺伐なけしき」の発見― 小林幸夫
『新釈諸国噺』「吉野山」 佐藤義雄

〔作品論〕
随想「無題」(青中月報)から「如是我聞」まで

「無題」(「青中月報」掲載)―戦時下の「学問」のすすめ― 仁平政人
昭和一七年、芭蕉連句を茶化す―太宰治「天狗」の位相― 青木亮人
〈日本文学の伝統に根ざす〉ということ 溝渕園子
「春」をめぐって 中野和子
太宰治「返事」論―はにかむ〈無頼派〉の自家撞着― 河野龍也
「津軽地方とチエホフ」覚え書き 岡村知子
太宰治「政治家と家庭」考―長兄への「お願ひ」、〈作家と家庭〉― 高木伸幸
「海」―女子供と北の海― 岡野幸江
太宰治「同じ星」覚え書 阿毛久芳
「新しい形の個人主義」―検閲を試験する― 篠崎美生子
「織田君の死」―不在を語る言葉― 尾崎名津子
連接する〈読み〉―太宰治「わが半生を語る」と嘉村礒多について― 平 浩一
太宰治「小志」 棚田輝嘉
太宰治の「かくめい」―同人雑誌「ろまねすく」独語欄を検討して― 平澤信一
「小説の面白さ」小論―〈まじめ〉さへの反語― 松下浩幸
賛辞と皮肉のあいだ―太宰治「井伏鱒二選集後記」― 滝口明祥
「徒党について」について 北川秋雄
『高尾ざんげ』解説―豊島と太宰― 村田好哉
「黒石の人たち」とその周辺 野口尚志
「やはらかな孤独」 古郡康人
「如是我聞」の妙な二人称をめぐって 阿部公彦

〔資料紹介〕
『晩年』の署名本 川島幸希
横田俊一と太宰治―「太宰治作品表」とその周辺― 木村小夜
太宰治ビブリオグラフィー 二〇〇七〜二〇〇八 山内・史

〔作品評釈〕
「二十世紀旗手」評釈(二)
 斎藤理生/「HUMAN LOST」評釈(三) 山口俊雄



編集後記

 
 「太宰治研究」第二二輯には、「作品とその生成要素」「作品論」「資料紹介」「作品評釈」の四種類の文章を掲げた。
 「作品とその生成要素」欄は、一九四四(昭和一九)年一月から一九四五(昭和二〇)年一月までの間に発表された『新釈諸国噺』の特輯とした。『新釈諸国噺』所掲の一二の短�gとその生成要素である西鶴の諸作品とについては、寺西朋子氏「太宰治「新釈諸国噺」出典考」(「近代文学試論」第一一号、一九七三年六月一〇日付発行)他数多くの論考がみられ、木村小夜氏『太宰治翻案作品論』(和泉書院、二〇〇一年二月二五日付発行)もあった。このたび、日本近代文学研究界の大家、中堅の方々による力のこもった諸論考によって、『新釈諸国噺』所収の一二の短篇の研究が、一段と深化し進展したと思われる。種々の新発見のみられる真摯な論考を寄せて下さった諸氏に、謝意を表したい。
 「作品論」欄は、前輯につづき随想作品をとりあげ、一九四三(昭和一八)年一二月発表の「「無題」(「青中月報」)」から一九四八(昭和二三)年三、五、六、七月発表の「如是我聞」までを論じてもらった。今回とりあげた二一篇のうちには、「原稿用紙一枚にも充たぬほどの零墨」(津島美知子「後記」『太宰治全集第十六巻』創芸社、一九五二年七月一日付発行)でこれまで言及されたことのないような随想から、雑誌に連載発表されてこれまで頻繁に言及されてきたような随想まで、多種多様あった。なかには論じ難い随想もあるこれら作品について、大家、中堅、新鋭の研究者の方々が真摯に論究をされ、種々新しい発見を提示して下さった。向後の太宰治作品の研究に貴重な示唆を与えてくれるにちがいない。二一氏にお礼を申し上げたい。
 「資料紹介」欄には、三篇の稿を掲げた。「『晩年』の署名本」の川島幸希氏は、日本近代文学の初版本、署名本の蒐集研究家として知られている。『署名本は語る』(人魚書房、二〇〇五年一二月二五日付発行)の著書もあり、「初版本」という冊子も刊行されてきた。「日本古書通信」に掲載された稿も多く、「芥川と太宰の識語本」(「初版本」終刊号、二〇〇八年一二月三一日付発行)や、「『晩年』帯地獄」に言及した「私がこだわった初版本(2)第二回「晩年」」(「日本古書通信」第七六巻第一号、二〇一一年一月一五日付発行)などの稿もあった。また、「横田俊一と太宰治」の木村小夜氏は、奈良女子大学の出身で、かつて同大学で助手をされていた。その当時から、横田俊一氏の太宰治作品に関する蒐集資料や記録が気がかりになっていたという。そのことを仄聞し、関係資料の紹介をお願いした。学生の頃、京都四条河原町の古書店で、木枝増一、横田俊一共著の『現代文学研究序説』(東洋図書株式合資会社、一九三八年七月一二日付発行)の大冊を目にし、高額だったが購入。交通費が不足することになって、四条河原町から京都駅まで歩いた記憶がある。また、一九七五(昭和五〇)年五月、相馬正一氏に誘われて、一緒に堤重久氏に�Aいに行き、京都京極の蕎麦屋で種々話を聞いたことがある。堤重久氏が横田俊一氏とともに上京し太宰治と�Aった話もうかがった。川島幸希氏、木村小夜氏ともに、貴重な紹介をして下さって、感謝している。「太宰治ビブリオグラフィー」は「二〇〇七〜二〇〇八」とした。
 「作品評釈」欄には、二篇の評釈を掲げた。斎藤理生氏「「二十世紀旗手」評釈(二)」は、「序唱」から「参唱」までの評釈を掲げ、山口俊雄氏「「HUMAN LOST」評釈(三)」は、「二十五日。」「二十六日。」の評釈を掲げた。ともに作品の「言葉」の精緻な検討をされていて、貴重な指摘が随処にみられる。労作を寄せて下さった斎藤理生氏と山口俊雄氏とに、深く感謝したい。斎藤理生氏は、『太宰治の小説の〈笑い〉』(双文社出版、二〇一三年五月三一日付発行)を上梓された。山口俊雄氏が「「HUMAN LOST」評釈」の(一)(二)で言及されている「ネオボンターヂン」の表記が気にかかり、「病床日誌」「看護日誌」の現物からの複写によって確認すると、「病床日誌」の「十月十四日」の項には、中野嘉一医師の筆跡で「ネオ、ボンターヂン」と記載されているが、「看護日誌」の「拾月」「十四日」「十五日」「十六日」「十七日」の項には、看護人の筆跡で「十四日」二回他各一回の計五回「ネオポンターヂン」と記載されていた。中野嘉一氏の教示によれば「看護日誌を記載した看護人は拙著に「Sという男」と書いていますが、反(そり)目(め)と記憶しています。」(一九八四年二月二三日付、二四日消印封書)という。「Sという男」反目氏は、「第一病棟」の看護長であったようだ。「看護日誌」の表紙には、看護人反目氏の筆跡で「入院昭和十一年十月十二日」とあるが、事実は「病床日誌」の表紙に記されているように「入院昭和十一年十月十三日」であって、「看護日誌」も看護人反目氏の筆跡で「十三日」から書き始められている。
 なお、県立神奈川近代文学館では、二〇一四年四月五日から五月二五日まで特別展「生誕一〇五年太宰治展―語りかける言葉―」が開催されるようだ。(後略)(山内祥史)
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