■日本文学・日本語学・日本史学と上方文化本の図書出版


太宰治研究16



目次



〔作品論〕
特輯・「母」から「グッド・バイ」まで
「母」論―二人の復員兵は〈私〉をどこへ連れ出したか 新保邦寛
切断と連続―『斜陽』と天皇 坪井秀人
「フォスフォレッスセンス」論―ユートピアの行方 下野孝文
太宰治「美男子と煙草」論 川津誠
「眉山」論―太宰治の酒場の真実をめぐって 伊狩弘
「渡り鳥」論―批評する〈ことば〉 馬場重行
太宰治「家庭の幸福」論―ラジオ的な〈幸福〉を超えて 水洞幸夫
戦後新聞小説と「グッド・バイ」―爛哀奪鼻Ε丱き瓩ら犧童(ツアイ・チェン)瓩悄 ̄催諜創

〔資料紹介〕
昭和二〇年の浦島伝説―太宰治『お伽草紙』の「浦島さん」の論 林晃平
太宰治「貧の意地」「遊興戒」試論―真山青果「小判拾壱両」「西鶴置土産」の比較 松田忍
太宰治ビブリオグラフィー 二〇〇三〜二〇〇四 山内鳥

〔作家論〕
伊東静雄と太宰治 勝原晴希
亀井勝一郎と太宰治 安東璋二
木山捷平と太宰治―思い出の語り方 田中俊男

〔作品評釈〕
「葉」評釈(三)―パラドックスとメタフィクション 中村三春
「走れメロス」評釈(二) 近藤周吾
「葉桜と魔笛」評釈(一) 三谷憲正



編集後記

 
「太宰治研究」第一六輯は、「作品論」「資料紹介」「作家論」「作品評釈」の四種の文章によって構成した。
 「作品論」欄は「特輯『母』から『グッド・バイ』まで」とした。「母」は、一九四七(昭和二二)年一月下旬に脱稿、同年三月一日付発行の「新潮」三月号に掲載された。また、「グッド・バイ」は、一九四八(昭和二三)年六月四日頃、一三回の「コールド・ウォー二」までを脱稿、未完のまま「絶筆」として、同年七月一日付発行の「朝日評論」七月号に掲載された。作者太宰治は、一九四八(昭和二三)年六月一三日午后一一時半から一四日午前四時頃迄の間に家出し玉川上水に入水して果てたから、此の度論究された八篇の作品は、太宰治最晩年の約一年半の間に執筆された作品という事になろう。八篇の作品のうち、「斜陽」に関する論考は、発表直後から現在までに数多く見られたが、他の七篇に関する本格的論考は、極めて少なかった。力篇「斜陽」論を寄せて下さった坪井秀人氏と共に、七作品についての本格的論考を寄せて下さった執筆者各位に、感謝の意を表したい。猶、未掲載の「破産」「おさん」「女類」「桜桃」「人間失格」等の作品論は、次輯に掲げたいと思う。
 「資料紹介」欄には、三篇の紹介を掲げた。「昭和二〇年の浦島伝説―太宰治『お伽草紙』の「浦島さん」の論―」の林晃平氏は、浦島伝説研究の専門家である。著書『浦島伝説の研究』(おうふう、二〇〇一年二月二八日付発行)を上梓され、その後も「苫小牧駒沢大学紀要」各号や「説話文学研究」「国際日本文学研究集会会議録」「比較文化論叢」「國文學 解釈と教材の研究」「国文学 解釈と鑑賞」「奈良絵本・絵巻研究」「文学・語学」等に、数多くの浦島伝説に関する論考を発表されている。『お伽草紙』を「太宰治の最高傑作」と評価される長部日出雄氏は、『お伽草紙』執筆の折「太宰はいったい、どんな絵本を見たのであろうか」と、太宰治の披見した「絵本」に強い関心を寄せられた。私も、『お伽草紙』収載の『太宰治全集第七巻』(筑摩書房、一九九〇年六月二七日付発行)を編纂した折、『お伽草紙』関連資料を調査した事がある。その後、花田俊典氏が「『カチカチ山』―太宰治私注」(「比較社会文化」第四巻、一九九八年二月二〇日付発行)の執筆準備をされていた頃、花田俊典氏の提案で、互いに所蔵している『お伽草紙』関連資料の交換をした事もある。しかし、此の度林晃平氏が紹介された『浦島太郎』(春江堂、一九四三年六月一〇日付発行)には、触れる機会に恵まれていなかった。
 また、松田忍氏「太宰治『貧の意地』『遊興戒』試論―真山青果『小判拾壱両』『西鶴置土産』の比較」は、三谷憲正氏から、「貧の意地」「遊興戒」等の新典拠資料を発見されたと聞き、寄稿して貰ったものである。『真山青果全集第三巻』(大日本雄弁会講談社、一九四〇年一二月一七日付発行)所掲の「小判拾壱両」「西鶴置土産」等が、「貧の意地」「遊興戒」等の作品生成に、どのように関わったかを紹介された論考である。松田忍氏には、既に「太宰治『右大臣実朝』論―雑誌『歴史地理』源実朝号(第三三巻第三号)との関係―」(「京都語文」第一一号、二〇〇四年一一月二七日付発行)の稿もあった。以上の林晃平、松田忍の両氏による作品生成要素の確認は、作品の存在仕方理解の確実性を支えてくれる、重要な資料となろう。
 「太宰治ビブリオグラフィー」は、「二〇〇三―二〇〇四」を掲載した。この稿は、拙編『太宰治全集 別巻』(筑摩書房、一九九二年四月二四日付発行)に掲げた拙稿「参考文献目録」及び拙稿「太宰治文献目録 一九九一年」(「国文学 解釈と鑑賞」第五八巻第六号、一九九三年六月一日付発行)に続く稿である。「太宰治研究」の第五輯、第七輯、第九輯、第一一輯、第一三輯、第一四輯と断続掲載してきた。
 「作家論」欄は、「特輯日本浪曼派の人々と太宰治」を予定していたが、小特輯のような形となった。勝原晴希氏、安東璋二氏、田中俊男氏は、各々に伊東静雄、亀井勝一郎、木山捷平についての論考を発表されていて、共に太宰治についても深い理解を示しておられる方々である。
 「作品評釈」欄には、三篇の評釈を掲げた。中村三春氏の「『葉』評釈(三)―パラドックスとメタフィクション―」は、「葉」の「第一四断章」から「第三六断章」までの評釈で、今回で完結した。真理の生起する場として輝いている「葉」に於ける言説を、いわば神の視点に立つのではなく、世界の内に留まって検証したこの試みは、貴重な示唆に盈ちていよう。その労に感謝したい。近藤周吾氏の「『走れメロス』評釈(二)」は、メロスが「村へ到着」して、急遽妹の結婚式を挙行し、村を「出発」するまでの「場面」の評釈である。さらに、三谷憲正氏「『葉桜と魔笛』評釈(一)」も掲載した。三谷憲正氏には、著書『太宰文学の研究』(東京堂出版、一九九八年五月三〇日付発行)に収載された、「『葉桜と魔笛』小考」の稿もある。
 却説、今年は、太宰治歿後六〇年目になる。曾て、歿後五〇年を目の前にした一九九七年の二月一日、津島美知子夫人が逝去され、同年一一月二六日、奥野健男氏が逝去された。「太宰治没後50年」の特集に寄せた拙稿「『人間』から『作品』主体に―研究の新しい展開」(「毎日新聞(夕刊)」第四三九二七号、一九九八年六月一一日付発行)で、二人の方の逝去の象徴的意味を論じた事もある。此の度、歿後六〇年を目の前にして、また、太宰治研究史上に重要な足跡を残された、二人の方が逝去された。二〇〇七年の二月一六日に長篠康一郎氏が八〇歳で、九月二一日に小野正文氏が九四歳で、逝去されたのだ。謹んで哀悼の意を表しておきたい。来年六月一九日は、太宰治生誕一〇〇年目になる。今年から来年にかけて、青森県や五所川原市や弘前市や三鷹市での、シンポジウムや展示や文学サロンの開設等様々な企画やその実施等を伝聞する。太宰治研究の新しい進展に繋がる事を期待したい。(後略)(山内祥史)
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